帳面のきれはし
このページでは、作品に対してブログ主の気づいたこと、考察などをメモしていきます。
飽くまでメモですので、参考程度にご笑覧下さい。なお、原作と映画の区別もやや未分化です。出典については順次整理していきたいと思います。
なお、ブログ主は論評などを積極的にチェックしている訳ではないので、他のブログ等で既出のご指摘と内容に重複がある場合にはご了承いただければ幸いです (2017年3月22日初稿、26日改変、28日追記)。
1. 登場人物の名前
各人物の名前が周期表からとられているのはすでに有名な内容ですが、
ブログ主が作品の世界観として注目しているのは、それぞれの登場人物が元素のように近づいたり離れたりしながら、影響を及ぼしあっているという点です。
特に、すず、周作、りん、哲は男女関係として表現されるので分かりやすいかと思います。
ブログ主がこの主題で連想するのは、ゲーテの「親和力」です。
2. 物語の反復・円環構造
冬の記憶 (9年1月) と 18年12月の類似性はこうの先生自身意図的に描かれたとのべていますが、その他にも反復・円環構造が見受けられます。
→ さっそくですが、ベタナマ@この世界の片隅にファン @konosekai_fan さんからご指摘をいただきましたので、修正します。
@gentianblewpuff ブログ拝見しました。「冬の記憶 (9年1月) と 18年12月の類似性」→18年12月と対応してるのは「波のうさぎ」ではないですか?こうの先生の発言を知らないで書いてるので、ピント外れのこと言ってたらすみません。
— ベタナマ@この世界の片隅にファン (@konosekai_fan) 2017年3月26日
誤:冬の記憶 (9年1月) → 正:波のうさぎ (13年2月)
ユリイカ 2016年11月号 の細馬宏通氏の『漫画アクション』の片隅に (P48–57) などを参照ください。
なお、北條家の室内構造と動線 (後述) に関しては、ベタナマさんのお仕事を大変参考にさせていただきました。
北條家立体化計画。北條家ペーパークラフトがようやく完成したのでお披露目。このあと10連投くらいします。本当にすみません。もうしませんので。#この世界の片隅に pic.twitter.com/z7xZqpXxi4
— ベタナマ@この世界の片隅にファン (@konosekai_fan) 2017年3月19日
冒頭 (冬の記憶) とラスト近く (人街ちの街 21年1月) のばけもんの登場もよく知られているところかと思います。
また映画での改変になりますが、「大潮の頃 (10年8月) 」で「すずちゃんは優しいねぇ」とすずさんの頭をなでるおばあちゃんの手は左から右手になっており、8月15日後のすずさんの頭をなでる右手と対応しています。
さらに同じ「大潮の頃 (10年8月)」で 草津から帰宅した後の夕飯では、原作ではキセノさんがすみちゃんに何か食べものを差し出していますが、これは原爆投下直前のヨーコ母子の行動とよく似ています。「母と子」のつながりを示す表現でしょう。映画版ではキセノさんがすみちゃんのほっぺたについたご飯粒らしきものをとって自分の口に持っていくシーンになっており、これはヨーコさんがすずさんのほっぺたから飯粒をとって口にするシーンと対応する、と指摘されていた方がいらっしゃいました。自分もそのように思います。ヨーコさんのお母さんはヨーコさんの右側に居て、これがすずさんの「反対だったらよかった」に対応することは言うまでもありません。
その他、飯釜の蓋を取るシーンは楠公飯と8月15日の白米で対応、また「江波山で拾ったコクバのつまった籠」と「妹さんのモンペ」がすずさんの頭の上に無造作に置かれるシーンの対応 (これは他の方のご指摘を参考にしたものですが) などが挙げられます。
以上の1、2について考えるだけでも、関係性の反復、儚いが、何回でも、どこにでも生じうる相似性といった世界観が垣間みえるかと思います。「みぎてのうた」に示されている「あなたなどこの世界の切れっ端にすぎないのだから」「どこにでも宿る愛」などの詞もこの世界観を補強するものでしょう。
3. あなたには、この世界、どんな風に見えますか
エンディングロール1で問われるこの一言、ここにも作り手の思いが宿っているように思います。
映画版については特に「すずさんの見た世界」である旨、片渕監督は語られています。そこで、いくつかのテーマに分けて「世界を見ること」について考えたいと思います。
(1) 大切なものは...
(2) 人間の負の側面について
(3) すずさん以外の視点について
(1) 大切なものは目に見えない、とはサン=テグジュペリの「星の王子さま」(日本語タイトルは内藤濯訳)に出てくるキーワードです。本作品においては、この世界の中央 (にいると思っている人々の目) からこぼれ落ちた、たくさんの存在がすずさんの目を通して浮かび上がります。「大潮の頃 (10年8月) 」はすずさんと世界の関わり方をよく表しているパートだと思います。
普通の大人は「ねずみかな」で済ますこの世界の片隅に、すずさんは女の子の姿を見出すことはできますが、結局「すいか」を手渡すことはできません*。そのすずさんをおばあちゃんは「ぼーっとしてる」とは言わずに「優しいねぇ」と言って、頭を (映画版ではさらに右手で! ) 撫でます。原作ではこのあと、「人から優しいと言われたのはわたしはたぶん初めてで」と続きます。すずさんの立ち位置がなかなか人から理解されにくいことを端的に表現しているように思います。
また、草津の墓参りでは、すずさんが一人だけ家族から離れて海を見下ろすシーンがあり、この「大潮の頃 (10年8月) 」は大変示唆に富んだパートだと考える理由を補強します。
*もちろん "To be, or ..." などと言って剣を振り回したりもしません
(2) 映画版では特に、人間の負の側面についての描写は極めて抑制されています。映画版は「すずさんが見た世界」なので、この作品に「嫌な人」が出てくるとすれば、それはすずさん以外ありえないのではないか、とブログ主は考えます。事実、幾つかの衝撃的な言葉はすずさんのモノローグとして語られています。そのような状況においても、すずさんは自分が歪んでいるという自覚を (メタ的に) 持つのですが、世界の方が歪んでいるとは考えません。
(3) とはいいながらも、片渕監督は明らかにすずさん以外の視点からの描写をいくつか用意しています。特に空襲シーンでは顕著です。実際には行った側の人間も存在するはずですが、これらのシーンでは人間の息遣いはブログ主には感じとれません。すずさんと周作さんを掠める機銃掃射の引き金を引く直前、パイロットは何を思ったでしょうか?
4. 片渕音響監督
本映画の音響監督は片渕監督自身。とすれば音へのこだわりも大変なもののはず。
ブログ主がこの映画を劇場でみることを強くお勧めするのはこの点にあります。
音に関して気づいた&ツイッター上の指摘を元に確認した点を以下に列挙しました。
・鳥:北条家の家は山腹にあるためか、ほとんど常に何らかの鳴き声がしてますが、
8月6日8時15分前後は静寂につつまれます。
・蝉:クマゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、時間帯により微妙に違います。
特にクマゼミは東京周辺ではそれほどメジャーではないと思われますので、
印象的です。
・羽音:ミツバチ、シオカラトンボ、アキアカネ、モンシロチョウ、アオスジアゲハ。
・風:19年12月と20年5月の夜の風の音はすずさんの心象としても必聴です。
・爆撃:公共防空壕内の振動音も劇場によってはくっきりと聞こえます。
・雨:かなとこ雲がもたらす大雨、雷の音が近づいてくるのがわかりました。
また壕の外から覗くか、内から見つめるかでバランスが変わるようです。
・咳:風邪のため寝込んでいるお兄ちゃんの咳もしっかり入っています。
・きっちゃてんの音楽:有名な話ですが、本編の元モガの甘い回想とエンドロール2の
「うえは付きあいすくりーむ」の幸せな思い出は一つの音楽で結びついています。
・BGM:コトリンゴさんのインタビュー記事によれば、片渕監督曰く
「『この世界の片隅に』の音楽は、どこかすずさんの心の中から漏れ聴こえて来る心情だと思うのです。」とのこと。
BGM の中には共通する主題・構造をもつ曲がいくつか挙げられます。例えば「周作さん」と「デート」および「すいかの思い出」と「疑い」、それから「朝のお仕事」と「お見送り」などです。「疑い」(憲兵さんにスケッチブックを没収されたあと、周作さんにノートを渡されるシーンで使用) は、深刻な表情の周作さんに「ちょっときんさい」と呼ばれるシーンでは弦楽器の不安な感じではじまりますが、ノートを手渡されるタイミングで「すいかの思い出」(10年8月、草津からの帰りに世界が「やさしくかすんで見えた」ときに流れる) のテーマが始まります。周作さんの気遣いをすずさんが受け止めていることを音楽的に表現しているように思われます。周作さんの机の上に置かれたリンドウ*、怖い (背景事情を知ろうとしない) 鬼いちゃんと憲兵さん、の対応も象徴的です。ギャグパートのようですが、実はとても重要なシーンであることが伺われます。また、北條家に嫁いだ翌朝の炊事のシーンで流れる「朝のお仕事」と、軍人として北條家を発つ周作さんを見送るシーンで流れる「お見送り」が同じ主題・構造をもっていることは、二人がこのとき改めて、「夫婦になる」ことを象徴しているように思われます。19年5月15日が雨なのは、デートのときより化粧の上手くなったすずさんの心ともちろん対応しているのでしょう。
*絵コンテ集 (CUT 551) には「卓上花...ジャノヒゲ」と書き込みがありましたので訂正します。
花言葉は「変わらぬ思い」と「深い思いやり」だそうです。監督......
・たんぽぽ:とある劇場で輪唱パートが後ろから聞こえてきたときはかなりじーんときました。
5. その他
黒村の時計:通常は食事をする部屋の箪笥か棚の上に置かれ、俯瞰の形式で描かれることが多いこの時計ですが、8月6日は床の間に縁側に向かって置かれています。何カットか時刻がはっきり分かるように描かれています。
周作と哲の時間:サンさんが休んだ後、二人の会話は一瞬のようですが、時計の針は数時間*進みます。すずさんはその間ずっと風呂...?
*確認したところ、長針と短針の解釈によっては数十分程度にも見えました。大げさだったらすみません
北條家の盆栽:すずさんがお嫁入りした当初、北條家には松らしき盆栽が二つあります。一つは20年7月1日の空襲の翌朝に折れているようです。個人的には、日常の中で育んできたものの決定的な挫折ないし破壊のメタファーのようにも感じますが、さて......。この空襲の朝は包帯のような白い帯がやたらひらひら舞っているのも気になります。
すずさんの里帰り:「浦野すず」名の習字が広島に帰ってきたことを強く感じさせる一方、「鬼いちゃん」の絵がすでにちぎれていることも象徴的です。その後に家族で交わされる会話が「手紙を出したが返事がこない」
若夫婦の寝所:結婚当初は床の間ですが、径子さんと晴美さんが北條家に戻ってからは、ひとつ土間側の板張りの間に布団を敷いているようです。おそらく畳張の良い (と思われる) 部屋は径子さんと晴美さんに譲ったのでしょう。(嫡男夫婦ではありますが) そういったおおらかさが北條家にはあるものと思われます (径子さんに頭が上がらないだけかもしれませんが)。
北條家の動線:土間から縁側への上りがないので、屋内の動線は限られます。にもかかわらず、屋内動線の要となる「食事をする部屋」を通らず反対側に人物が現れることがあり*、玄関〜庭〜床の間前の縁側という出入りすることが多いのではないかと思われます。ちなみにこの「食事をする部屋」はサンさんが陣取っていることが多いようです。
*有名な「作れ!今すぐ!」のシーンでは、土間にいたはずのすずさんが、径子さんとサンさんのいる部屋を通らずに反対側に現れて、着物の裁断をはじめます。
*「回覧板、もう回してええですか」のシーンでは、床の間の障子の影で所在無げにしていたすずさんが、台所側から現れます。
照射訓練と灯火管制:すずさん嫁入りの日は北条家の床の間の電灯には黒布はかかっていません。照射訓練もしています。絵コンテ集によれば、19年3月、元モガが帰ってくるころには、「食事をする部屋」の電灯には黒い布がかかっているようです。
おとうちゃんのおこづかい:五圓です。お義母さんのへそくりと今月の生活費合わせて廿五圓ですので、 おこづかいというにはちょっとした額です。ヤミのお砂糖は買えませんが。原作では別れの直前に、顔も見ずに渡します。父親とは。
すずさんは切符を押さえるのも後回しに、へそくりにもせずに、迷わずスケッチブックの購入に充てます。そして、このスケッチブックもやがて没収されます。
10月に倒れてすぐ死んでしもうた:キセノさんは十郎さんにとって心の支えであったのかもしれません。後を追うように人が弱る、という事例は恐縮ながらブログ主の家人の事例で経験したことがあります。
南洋冒険記:昔と変わらないはずの草津の家の天井を、床に伏せるすみちゃんと見上げながら、ここですずさんの失われた右手が持つのは、チビた「ウ・ラ・ノ」鉛筆。そして、もう座敷童は降りてきません*。周作さんの「もうあの頃には戻らん」という台詞を先取りして印象付けるシーンです。
さらに付け加えると、「冬の記憶 (9年1月)」ではすみちゃんに「ばけもん」の話を伝えるのに「まあみとりんさい」と言ったすずさんは、南洋冒険記に関しては、口で語ることになります。
*(3月28日追記) 座敷童は降りてきませんが、代わりに同じぐらいボロボロのヨーコさんと出会います。失われた右手がつないだ縁のおかげで、あの頃とは変わったすずさんは、今度は関係しそびれることなくヨーコさんを呉に連れて帰ることができました。
そして中島本町という、この地上から消えた街は、すずさんと周作さんが出会った場所として、二人が三人になった場所として、皆さんの胸に新たに記憶されることになるのでしょう。このお話に込められた、秘密の魔法のおかげで。
恵比寿、大黒面:物語最終盤でヨーコさんを連れ帰ったシーンでは、上述の北条家の「食事をする部屋」に福面がかかっていることが明示されます。それ以前は何かあるような雰囲気はあるものの、はっきりとは描かれていません*。何のメタファーかは言わずもがな。
*終盤まで灯火統制があるため、梁から天井付近はうすらぼんやりした描写になっています。
その他:ブログ主が発見した訳ではありませんが、ツイッター等で有名な指摘をいくつか。
・刈谷さんの息子さんは防空壕の拡張作業を手伝っている
・前半と後半のタワシの違いに注目
・19年7月ごろ (建物疎開の後) よりタンスの金具が紐に変わる
・北條家のお茶は後半薄くなる?
・初盆の盆灯籠の色
・ヨーコ母子は前半から劇中に出ている
・テルさんもワンカット出演している (すずさんのテルさんへの言及もある)
・円太郎さんは白髪が増える
・カブトガニ
細かすぎて伝わらないこの世界の片隅にの好きなシーン
が toggeter にまとめられましたので、こちらもぜひ御覧ください。
絵コンテ集はより細かく世界観や人物の気持ちを理解する上でとてもよい助けになります。資金に余裕があるようでしたらお勧めです。